2009年5月21日木曜日

アンドロイドが襲来したけど鳴らない電話

DocomoとSoftbankが夏の新機種を発表しましたが近頃携帯電話が一皮剥けた気がする。一時はこのガラパゴスでコモディティ化のサイクルに完全にはまって停滞→そして衰退の流れに片足突っ込んでる気がしてたけどそれもむべなる、2005年頃は全くもって意味の無い画素数をひたすらプッシュしてただけでしたし、2007年頃の大して使ってる人のいないワンセグを普及させようとしていたのは最早痛々しささえ感じていましたから。それはパソコンを使っていてもこれは凄い!ってのがまた最近増えたから良いイノベーションが起こってるんでしょう、どっかで。その部分が大きいのはもちろんなんだけどiPhoneに代表される海外製端末の影響も大きいに違いない。

と言うわけで無理やり話を海外端末の話にすることが出来たのでAndroidの話ですよ。ドコモから来ましたねー。Googleはauとよろしくやってたみたいなのでそっちから出るのかとも思ってたけどドコモ頑張った。ドコモはHTCに感謝しなさい。Blackberryもドコモから出たしそういう積極的な姿勢は日本人大好きですよ。

物を見るとiPhoneとWindowsMobileの合いの子みたいな感じがするけどカーネルはLinuxだそうでで良いね、iPhoneとWinモバ(iTunesとActivesync)のLinuxとの親和性は全くのゼロですからデスクトップLinuxを本気で使ってる約0名のユーザーは欲しがるでしょう、まさか携帯電話でも泥沼のWin-mac-Linux戦争が出来るとは思いませんでした。


対してソフトバンクのスマートフォンはゼロでした、アレはスマートフォンじゃないので、でも良いよそういう割り切り。新iPhoneが噂されてWindowsmobile6.5を間近に控える今は雌伏のときっ…。



スマートフォンの話ばっかりだけど普通の端末も面白いのがありました、やっぱり今見ても無駄に高機能すぎるだろ、とかこの機能は誰が得するんだよと言った感のするものが今でもありますが良いんです。実際使ってみるとそういう機能は何人かに一人は凄く気に入ったりするものだから、だれもがなんとなく使える機能も大事だけど一部の人が泣いて喜ぶ機能も作って行くべき。市場は縮小してるけど目は離せません。

2009年5月14日木曜日

LOUVRE@NMWA





大工の聖ヨセフ!!





世界一有名な美術館と言えばまあフランスのルーブルで異論無いでしょう。METとかウフィツィとかプラドとかピナコテとかエルミタなどなど色々あるとはいえ頭一つ抜けてる感じ。まあモナ・リザが頭一つ抜けてるからしょうがないか。そんなルーブル美術館展が上野の国立西洋美術館でやってます。

とは言ってもね、実は結構やってるんですよルーブル展、知ってる限り関東だけで2回か3回はやってる。で何があったのか良く分からないけど、1回は都美術館だったからだけど、今まで1回も行ってない。って言うかね、そもそもルーブルのみから借りて展覧会やるのなんて稀で。だからルーブル展って名前になるんだけど普通企画に合う絵画を世界のいろんな美術館から借りてくるわけで。もちろんルーブルから借りることも多くむしろ企画展に行ってルーブルノータッチってことは少ないくらい。そういう意味では○○美術館展なんて企画としてダメですよ、○○美術館行けば良いだろって話になりますから。普段美術館行かないのにルーブルって名前だけで行ってましてやそれだけ見て常設展はスルーなんて館に失礼だろと思います。


ただねー、今回はどうしても見たい作品があったんですよね、上で叫んだ大工の聖ヨセフ(ラ・トゥール作)がそれなんですけど。と言うのも4年前国西でラ・トゥール展がありました、ラ・トゥールの真筆は40作(多分偽物も入ってる)位しか残ってなくて5/7の日記でちょっと触れた「謎の画家」は彼こそ相応しいと思います。フェルメール?謎でも何でもねえよ!
当然ラ・トゥール展なんだからラ・トゥールが沢山来て…ない、5枚くらいしか来てない。無理も無い。でもそれでも良かった、あのマグダラのマリアの静謐さと言ったら!!


その時掛かってたのが大工の聖ヨセフ………のコピー。


美術館にポスター貼るなんて何してんの国立西洋は。初めてですよ私をここまでコケにしたオバカさんとは言わないけど5年経った今でも隣の「この作品は展覧会上非常に重要な作品なのでコピーを展示しました」の表示は良く覚えてますよ!!そりゃあもうマグダラのマリアよりはっきり覚えてますよ!!!
そんなわけでもう去年のNFL頂上決戦スーパーボウルの間のCMでルーブル展にヨセフ来るのCMが流れたときゃ嬉しかったですね。僕の中では試合が決まりました。


行った感想ですがまず名前が凄い、ラ・トゥールばっか語ってますけどフェルメール、レンブラント、ベラスケス(工房)、ルーベンス×2のSランク画家だけでなくニコラ・プッサン、ファン・デル・ウェイデン、ファン・ダイク、フランツ・ハルス、ロイスダール、ムリーリョ、ヘリッジ・ダウなどこの辺の知名度A~Bランク画家が良い仕事してました。これだけでぴんと来た方はこの日記は読まなくていいと思いますが全員17世紀の画家で展覧会も正式には「ルーブル美術館展ー17世紀ヨーロッパ絵画」
素晴らしい、素晴らしい割り切り。ルーブル展なんて言ってあのでっかいルーブルから古代も近代も彫刻もいろんなの持って来ようぜなんて言ってもどうせ薄っぺらくなるに決まってる。それなら一時代切り取ってがっつりその時代を見せてくれたほうがどんなに良い事か、しかも17世紀、いわゆるマニエリスムの影響受けつつバロック時代をチョイスって国西は最高に分かってます。

フランツ・ハルスを見た時は早起きして来て良かったと思いましたね、私を美術ファンにしたレンブラントの油彩を6年ぶりに見れたり、まさかのベラスケスの王女マルガリータに合えたり、珍しい戦争画を見れたりしました、オスマントルコ強すぎ。大工の聖ヨセフですけど表示は「大工ヨセフ」になってました、確かにラ・トゥールらしく神性よりも人間美の印象が大きかったのでこれからは僕もそっちで呼ぶことにします。

それより何よりまず混雑で順路が分かりにくく僕も美術展で初めて出てから数点見落としに気づいた迷路構造にバリバリのヴァニタス画(複雑な寓意を持った絵)やトンド(丸い絵)に解説パネルはおろか音声解説にすら一切説明をつけず鑑賞者を混乱に陥れ、音声解説はと言えばCV:中尾彬で油断させていきなり専門用語を無解説で連発する完全にルーブルの名前に釣られて来た初心者ホイホイ。一方で当たり障りの無い絵をチラシにして教師を釣りうるせえ小学生の団体を呼び込んだ後半に裸婦画バンバン貼りまくって小学生の内から訓練された美術ファンを増やそうとする国立西洋に痺れるあこがれるぅ!


そんな感じで今回も楽しかったです、ただ朝一で行ったのに混んでました、普通に昼行けばメッチャ混んで静かな鑑賞は無理ですね。おばあちゃんを蹴散らして進むしかありません。知識も体力も極めてタフな能力の要る展覧会でした。

2009年5月10日日曜日

5月9日

まあこんな安逸な日々を送ってれば日記に書くことなんて今日食べた何が美味しかったとか?と思ったけど意外と書いてなかった。11月にお茶を入れた話をしてるけどもう半年前か。半年前か。俺は半年間何をしていたんだ…。
まあ最初の頃は塩を忘れて味気無い焦げたチャーハンとかでも出来た出来た♪みたいに大喜びしてたけど小慣れてくるとそりゃいちいち日記にしないよね、一応ちょいちょい料理しててチーズケーキ作ったりキッシュ焼いたりもしてたんだけどその2つくらいしか記憶に無い。もっとメモリーに残る料理をしないとPCのメモリー増やしてる場合じゃない。


で、美味しそうなレシピを見つけたのでカレー作りました。めちゃ多い分量に注意。
http://www.sbcurry.com/recipe/curry_23.html

いまいち写りの良くない写真も


美味しいけどもちろんカレールー使いましたから何か時間ばっかりかかって結局すぐ記憶から風化しそうな感じになっちゃった。なんとも言えねーな。しかもよく見たら過去にカレー作った日記書いてる。しかも同じようにナスと鶏肉使ってる。しかも同じように辛口のルー使って後悔してる。いや決して僕がカレーしか作れないなんてことは無くローテーションですよ、数ヶ月に1回くらいカレー食べたくなるでしょ。その話は9月だから8ヶ月位前か。8ヶ月。8ヶ月の間俺は何をしていたんだ…。

2009年5月9日土曜日

耳を切り落とせば

時事ドットコム:ゴッホの耳を切ったのは?=友人ゴーギャンか-英紙
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009050600084&j1

 【ロンドン5日時事】1888年12月、オランダの画家ゴッホの左耳が切り落とされた事件について、新説が登場した。通説では錯乱したゴッホが自分で切り落としたとされてきたが、友人の画家ゴーギャンが切った可能性もあるという。5日付の英各紙が伝えた。
 ドイツの歴史家2人が新著で主張したもので、警察の報告書、各種証言、書簡を分析した結果、たどり着いた結論とされる。ゴッホとゴーギャンは事件の年、南仏アルルで一緒に暮らしていた。新説では、けんかの末、家を出ていくゴーギャンを追ったゴッホともみ合いになり、ゴーギャンが振ったフェンシングの剣で耳が切り落とされた。
 ゴーギャンの行為についてゴッホが沈黙を守ったのは「共同生活再開に期待を抱いていたからではないか」と推測。ゴッホは、ゴーギャンへの最後の言葉で「君は沈黙している。私もだ」と述べているという。ただ、確定的証拠は示されておらず、アムステルダムのゴッホ美術館専門家らは一斉に反発している。(2009/05/06-07:39)



日本人は分類を好むのか広告手法的な意味で「何々な画家」みたいな二つ名を与えれてることって多い気がする、「謎に包まれた画家」みたいなのは三人くらい見た気がする。
ゴッホは炎の画家って言われ方をしてるのを良くみるけどこれは中々良いと思う、話がそれたけど要するにゴッホって特に謎は無かったから、いや突然叫ぶみたいな謎めいた行動は多いんだけど、とにかくこういう新説が出てきたってだけで個人的には驚きなんですよ。
時代が古い画家で全然資料が残ってなかったり最近再評価されてたりしてたら別なんだけどゴッホの場合は何かにつけて弟テオ・ファン・ゴッホに手紙を送りまくってるのがこれが知られてないけど最大級の評価をされるべきテオ・ファン・ゴッホの奥さんによって残りまくってるのでいつごろどんな気分で何してたかって大体知られてるわけだ。この新説もやっぱりテオへの手紙をもとにした説なのね。

とりあえずざっと説明をしとくと
ゴッホがアルルで自分探し

通称「黄色い家」でゴーギャンと共同生活
ちなみにゴーギャン以外には拒否られる

ゴーギャンと不和

耳を切り落とす

確か通説がこんな感じだった思う、違ってたら言ってください。で、新説はその耳を切ったのが上にあるようにゴーギャンじゃないのかとのこと。先ずもって突くものと思われるフェンシングの剣で耳をそぎ落とすってのが可能なのかっていうので既にアレなんだけど最近『巨人』がゴヤの作品じゃ無かったってなって超びびったばかりですから。

とりあえず新説を唱えてるカウフマン氏のインタビューが以下、和訳はどこぞの名無しさんなんですけどねっ!!



>He mentions Gauguin's request to recover his fencing mask and gloves from Arles, but not the e´pe´e.
(ゴッホが弟テオに書き送った手紙によれば)いまはアルルを去ったゴーギャンは
ゴッホに対し、フェンシング用のマスクと手袋を返すように要求してきた。
「フェンシング用の剣」がそこに入ってないことに注意。

>Mr Kaufmann told the Daily Telegraph: "He writes
>that it's lucky Gauguin doesn't have a machine gun or other firearms,
>that he's stronger than him and that his 'passions' are stronger."
デイリー・テレグラフ紙の取材に対し、(新説の提唱者)カウフマン氏は
「ゴッホは書いているのです。ゴーギャンが銃をもっていなくてよかった、と。
彼がゴッホより力が強く、凶暴だったと」

>He makes reference to a French novel in which the narrator thinks
>he has killed his friend by cutting the climbing rope linking them.
(手紙の中で)ゴッホはあるフランスの小説に言及している。
ストーリーは、語り手が友人と登山の最中に、命綱を切断して死なせてしまう、というものである。

>"Afterwards, he says to himself: 'nobody has seen me commit my crime,
>and nothing can prevent me from inventing a story which would hide the truth',"
>said Mr Kaufmann. "This was a message to his brother."
「その後に、こういう台詞がくるのです。
『私が犯罪をしでかすところを見た者はいない。
私が物語をでっちあげ、真実を覆い隠すのを妨げる者はいない』
これは弟テオへのメッセージだったのです」

>He also pointed to one of Van Gogh's sketches of an ear, with the word "ictus"
>- the Latin term used in fencing to mean a hit. The authors believe
>that curious zigzags above the ear represent Gauguin's Zoro-like sword-stroke.
またカウフマン氏は、ゴッホが自ら切り落とした耳を描いたスケッチに、
ictusというラテン語を記していることを指摘する。フェンシング用語で「打撃」という意味である。
論文の2人の共著者(ハンス・カウフマンとリタ・ワイルドガンズ)は確信している。
ゴッホの耳の切断面上部の奇妙なギザギザは、ゴーギャンの怪傑ゾロ顔負けの一撃を表すものだと。



英語のっけときましたので読める人はそっちで。まあこの説ぶっちゃけこれだけが根拠らしく薄弱も良い所、このあとゴッホは切り落とした耳を馴染みの娼婦に渡すという結構な行為に出た結果サン=レミの精神病院に入ることになるんだけどゴーギャンが切り落としたとすれば告発行為、或いは道すがら口論になって耳を切り落とされたのが売春宿の近くとすれば直接的な理由になってゴッホは精神錯乱になってはいなかったとなるんだろうけどゴッホの診察カルテとか、この件で出動した警察の記録が残ってると思うから検証可能だと思う、もう少し裏を取ってから新説として欲しかった。

そして根拠とか証拠とか以前に僕の個人心情的にもあまり信じたくない、ゴッホが生前社会的に認められることが無く死後評価されたことがその後の美術史的に大きな意味があるのは間違いないけど、それって生贄ですよ。もうそれは仕方ないにしてもゴーギャンとの不和は芸術家同士の精神の衝突だと思いたい。


以下、名前を出しとくだけで頭いいと思われる小林秀雄の『ゴッホ』よりゴーギャンと別れる際のテオへの手紙

「絵の売上げの一部御送付に与り厚く御礼申し上げます。結局、私はパリに還らねばなりますまい。
ヴァンサンと私とでは、簡単に言って、平和には暮せません。気質がまるで違うからです。
私にも彼にも、仕事の為の穏やかな時間が要ります。
彼は非常に聡明な人だ。私は彼を尊敬しているし、別れるのは辛いとは思っているが、別れる事は必要なのです。
貴方の私に対するお心尽しには感謝しています。私の決心をお許しください」


やっぱりお互いに尊敬していたと思いたいね。美術分が不足気味なのでとりあえず来週の水曜辺りで西洋行ってまた日記にしたい。