この美術展に行き損ねてからというもの、国立トレチャコフ美術館に対する思いは日に日に高まっていきました。トレンチコート着てもトレチャコフ美術館のことを思い出す位でした。
そしてついに場所を同じく渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムにて国立トレチャコフ美術館所蔵―レーピン展が開かれ、これは行くしかないと。イリヤ・レーピンてあんまり知らんけどリアリズムの画家好きだし良さそうだと。
レーピンは19世紀から20世紀の頭まで活動た移動派の画家で、ロシア生まれロシア育ち。今のウクライナ領スロボジャーンシュチナ(ググった)に生まれ、お絵描きが凄く上手だったのでサンクトペテルブルクの美術学校行って、良い成績取ったから奨学金貰ってパリに留学して、そんで印象派とかの影響なんかも受けて帰ってきて、ロシアの有名人の肖像なんかを描いてお金貰いつつ創作活動して、アカデミーで高い評価を受けました。
…さて、この説明が何かしっくりこなかったのは私だけじゃ無いでしょうよ。絵を見ながらかなりの間モヤモヤ感じてましたとも。
美術史に残る天才画家たちって居ますよね?ピカソ・ゴッホ・ダビンチレベルの、別に美術ファンじゃなくても普通知ってるむしろ知らないとやばいみたいな。
そういうレベルの画家ってのは評価軸の曖昧な「絵が上手」って要素で有名てわけじゃなくて「新しい表現を編み出した」ってことで高い評価を与えてられてます。
これは私が絵画芸術を愛している一つの要素です、過去に誰もやってなかったことに挑戦したことを、後世の人間が称えて誉を授けていること。画家の人生を追う回顧展に行くと人生賭けた挑戦の、その大きなエネルギーを感じられるのが私が美術鑑賞にハマった理由の一つです。
ってわけで結構な量の画家が評価されず生前は不幸だったり非業の死を遂げていたりします。蛇足ですが音楽ってのはそうはなってない印象、ある時代のみんながこの曲良いじゃん!って思ったものが後世まで伝えられてる感じ。
レーピンは写実主義を描き続け、晩年には時代遅れとも批判され、新しい美術表現を開拓しようとした人ではありませんでした、じゃあレーピンってのは何がそんなに評価されて残ってるんだ?何を感じればいいんだ?
この画家がロシア美術の栄冠を授かるのは描き方ではなくて描いてるモノがスゴいから。もしかしたら歴史に詳しい人ならすぐに気づけたのかもしれないね。
代表作「ヴォルガの船曳」、過酷な労働を強いられる下層民を一人一人の個性を残してかき分けてます。今回来てたのは習作でした。
この辺の何が凄いってこんなひどいことが行われている!なんてことだ!って絵じゃなくてロシアの風景です。みたいな感じで描いてること。
レーピンはロシアの大地を愛し、ロシア的なものを描き切ろうと努力していました。高官も名士も革命家も貧民もレーピンを支持してたのはロシア人として尊敬してたからじゃないかな。
「モスクワはとても絵画的で、私は今、こんな町がとこか他にあれば、はるか遠い国でも喜んで参りますが、これほどの町はおそらく唯一無二でしょう。」という言葉を残してます。ロシアの町と人がレーピンを偉大な画家にしたんでしょう。
レーピン展は10/8まで渋谷文化村にて、今回初めて使ったけどミューぽんってアプリ買えば100円引きになりますよ。