2012年1月31日火曜日

エクリチュール

今日はA4のレポート一枚を提出しました、授業の内容を簡単にまとめて感想を書く簡単なレポートだったんだけど、授業が英語で全然理解できなかったからテキトーに書いて出した。
もちろんまだ確定ではないし、実験して修士論文書かないといけないんだけど、これで全部卒業単位が取れたのではないかと。とりあえずこれ以上授業を履修する必要はないわけだ。おめでとうそしておめでとう。

一番最初の授業は国語だった気がする。「あさがおなんとかあいうえお」だったっけなあ。そこから振り返るとなんだか短く感じ…ない。いやはっきり言ってツラかった。何しろ僕は勉強が嫌いだった。新しいことを知るのは結構好きだから最初の方(3~8歳まで)はかなり面白がってガンガン勉強してたけれど最後の方 (17~22歳まで)は超苦痛だった。こんな細かい物体の話はもういいよ…ていうか俺経済とか日本の歴史とか知ら無さすぎだろ…、と授業の度に毎回思っていたけれど、いかんせん専門とか専攻とかいう名前で話が進んでいたからこの期に及んでそんな勉強するのは足枷だった。高校時代の実テの時は学校に隕石が落ちろと思ったし大学の定期試験は今思い出しても身が震える。

そんなわけで「勉強したか」と聞かれれば僕は自信を持って?全然勉強しなかったと答えられる、これを言ったら言ったで「勉強せずに頭良いとか無いわー」とかいうやつもいて、頭良いとは思ってないけれど、もうその言葉を受け入れてもいいくらい勉強しなかったと答えられる。
だけど「この17年間何してた?」と質問を変えられたらもう「勉強してた」としか言えない。ほかに継続してたことなんて飯食って寝てパソコン弄るくらいのことしかしてないし、それを言うのは結構な自己嫌悪入ってくるからやっぱり勉強してたことにしたい。

人生死ぬまで勉強とは言うものの、単位を取って、これ以上進学するわけでもないということで、とりあえずもう机に座り、黙って先生が黒板に書いた文字を手元の紙に写す作業からは解放された。そう、少なくとも僕にとっては「勉強とは何か」と言えばこの「黒板に書いた文字を手元の紙に写す作業」のことを言う。

いったいあれは何だったんだ!!アンパンマン見てるのかよくだらねーと言っちゃう小学生とか、合説に参加する必要は無いとか言っちゃう大学生のような初心を忘れた発言の一種かと思ったけれど、アンパンマンと違って板書はまず初心からつまんなかった。なによりあれだけ頑張って書いたノートの山を読み返したことは無い。一転大学ではノートが異常に大事になったりするんだけれど試験が終わればやっぱり読み返さない。勉強しなかったけれど、勉強に意味がないとは思っていない。けれどこの作業だけはこう…もっとうまい方法はなかったのかな…と思う。あの時間でひたすら外国人と話し続けてれば、外国語一つくらい喋れてないのか、とか、その辺でひたすらアンケート取ってれば社会法則の一つも発見できなかったのか、とか思わずにはいられない。

新しい教育方法がきっとあるはず……と思ったけれど、結局僕が教師になったとして、40人を相手に自由な方法で授業して良いと言われても黒板に知ってることを書いてみんなに見せる以外のことはやっぱり思いつかない。これも黒板教育の弊害なんだろうか。もういっそのこと黒板板書能力で人の価値を測ってくれれば良いのに。