あらゆる土着の自然宗教に自然崇拝の要素が含まれていて、その多くで太陽を神格化して太陽信仰してるけど、確かにああもサンサン輝いていれば電気の無い時代にどれだけ感謝されてたかしらん。そうなりゃ日食なんてエライことですよ、うわー太陽が月によって覆い隠されてるよーみたいに冷静じゃいられない。古代人でも専門家的な人がいつ起こるか計算して、外したら殺されてたって話を聞いたことあるけど理系奴隷すぎだろ。きっと当てても災いが起こらないように生贄にされてのではないか。
ちなみに僕も朝起きたけどド曇りだったので諦めて寝た、今にして思えばもったいない、晴れたところまで移動すればよかった。
見えなかったとは言っても日食は起きてるんだよね、と思ってたんだけど日食の定義を見ると太陽と地球と月が一直線に並ぶことじゃなくて月によって太陽が隠れることとしか書いてない。主従の関係が逆。そうすると僕のところ含め皆既するはずの悪石島は雨だったそうなのでそこでは日食が起こらなかったことになるのか?
ってことはだ、日食は「存在することは知覚されることである」的スタンスであるとすれば恒星と惑星と衛星と十分な距離と軌道と直列が前提で、かつ厚い雲に覆われた、とかじゃない晴れたり雨ったりする大気(かつ晴れる)の惑星に住む日食を知覚できるある程度の文明を持つ知的生命体が日が欠けたことを確認して初めて日食っていう想像以上に奇跡的な現象なのかね。