2010年11月3日水曜日

顔は作られる

はげあたまのパラドックスって言う僕の好きなパラドックスがあるんだけど今はげって言ったのは誰だぶち殺すぞ。

日記って言うのはその日あったことを書くものだけどまあ一日二日前のことを書いても良いよね、というか三日前でも別に良いと思う、四日前でもいいよね。というわけで9月23日に行ってきたウフィツィ美術館展 於東郷清児美術館の感想を書いときたい。10月中には書こうと思ってたんだけどせめて会期が終わるまでに書かないと。

そんなに絶対行くって感じでもなくまあ機会があれば、程度の印象だったんだけど機会があったから行ってきた、学会に遊びに行った帰りにみんながまだ学会残ってたけど行ってきた。いまいちテンションがあがらなかった理由のひとつが特設ウェブページが微妙だったってのが大きい。ゲームみたいに皆がばんばんレビューするわけじゃないから公式ホームページは一番大事な情報源なんだけどなにしろどれくらい作品が来てるのか、誰の作品が来てるのか不明。絵画なんてディスプレイ表示と本物じゃ全然違うんだしネタバレになるわけでも無いんだからウェブでもっと作品紹介してくれよ、三流エロゲメーカーの作品CG紹介のほうが充実してるぞ。
まあ本来そんなところに金かけるべきじゃないんだけどね。広告につられちゃ駄目だ、真に良い展覧会を見極める目を養わんと。


ウフィツィ美術館が自画像収集しまくってたって知ってた?俺は知らなかった。ヴァザーリの回廊は聞いたことあるけど自画像飾ってたってのは知らなんだ。っていうかここまで歴史的で世界的なプロジェクトだったとはメディチ家ハンパねえ。この展覧会で78点、馬鹿な。特別展で78点って量としては普通かそれよりちょっと多いくらいなのに全部自画像でだぞ。もちろん自画像だから一画家一点。レンブラントが来てるから行こうかな、みたいな当初の動機は吹っ飛んだわ。しかも1525年~現代て。途中で作品が収まりきらなくなったりしてるし。ウフィツィから執念のようなものを感じる。

一人の画家のバックボーンをしっかり紹介するために全ての絵に説明書きが付いてたました、そんでもって自画像が歴史順に並んでいるおかげで美術史と画家の総ざらいになるよね…なんて単純に理解できると思ったか!ラファエル前派や未来派宣言あたりの美術用語は常識、ライデン緻密派、プリズモ、ゼセッション、ナザレ派、リュミニスム運動、マッキア派、ディヴィジョニズモ、デペイーズマン、ノヴェチェント、アルテポーヴェラ、トランスアヴァングルディアとかこれまで何度も美術館に行ってかすりもしなかった学者級の単語がボンボン出てきて死ぬかとおもったわ!こんなの下手するとググってもヒットしないんじゃないの。音声ガイドの恒松さんに感謝。
全部只の自画像ではあるんだけど時代や流派関係無しで集めてるから全体を大きく捉えられない、極めてレベルの高い展覧会でしたが面白かったのはやっぱり女性画家の自画像の移り変わり。キュっと口を閉じて頭よさそうにしてないと男性社会の画家の中ではやっていけないのよ!って感じから徐々に緩んでいって印象派あたりでステキに輝けワタシ(ハァト)みたいになってたのが印象に残りましたよ。展覧会MVPも女性画家ウィジェ=ルブランでしょう。定まらない視点に引き込まれる良い絵でした。


専門用語は良くわかんないといってもどの画家も自分の最も表現したい描き方で自分を表現してるから画家の思想が垣間見える。人間中心になったルネサンス、劇的な表現をするマニエリスムを経て20世紀のさまざまな表現百家へ、ルイージ・ルッソロの画面構成なんて天才の極みでしたよ。人間の顔なんて何万年も変わっていないようでも、人間の顔は世界と時代と思想が作っているのね。



ところで東郷清児美術館特有のだだっ広いホールに仕切り壁を作って絵をかける変幻自在ぶりは健在だった。ほんと行くたびに形が変わるな!